少年時代、全く落ち着かない性格で
しかも、やたら怪我が多く
両親が色々な易者にまで私を連れて行く始末だった。
そして...誰からも言われた言葉は『剣難の相』!
出家でもしなければ、命も危ない?
そこで精神の修行になればとの両親の切ない思いで始めたのが剣道だった。
地元で最高に厳しいと畏れられたA草警察の道場に入門となった。

当然、当時小学校3年生のオレは、そんな切ない思いなど全く頭になかった。
ただ竹刀で自由に叩き合える時間が好きだった。
精神修行も何もなく、暴れまくった記憶しかない。
自分の運動神経(剣道の本当の技術でなく)に過信していたのもその頃だった。
試合をやっても負けた事はなかった。
たとえ負けそうになっても、とにかく意地だけで全て勝利した。
上級生相手でも同様で、技術的・体力的に劣っていると認識しても
執拗なネバリとスタミナだけで打ち勝った。
単なる極端な負けず嫌いな性格だったのだ。
例えば、小学2年生のとき、珠算塾で5級の頃
勝ち抜きソロバン大会が催された。
当然、上級生だろうが級が格上であろうが負けは死ぬ程嫌だった。
そして、意地のみで勝ち上がった。
5級の生徒にすべて勝ち、4級、3級の生徒も全員負かしてしまった。
ついには、2級の5年生vs5級の2年生(オレ)となった。
この試合も私が先に回答し、挙手をしたのだが
その際、ソロバンが揺れてしまい、先生は正答とみなしてくれなかった。
答えが正しいかどうかは先生が直接ソロバンを見て判断するルールだった。
口答方式にすると、挙手をして声を出す迄に計算が可能だからだ。
ちなみに、オレはこの敗戦すら当時認めていない。
答えは正しかったからだ。ソロバンが動いてしまったに過ぎないからだ。
5級のチビが2級を相手のところまで勝ち上がるなんて立派だと
周囲の大人達から賞賛された。
そんな褒め言葉がオレをますます勘違いさせたものだった。
しかし、そんなインチキ天狗の鼻っ柱は簡単にあらゆる場面で折られた。
努力もしないで、意地だけのオレだったので、当然の帰結であった。
下町の学習院といわれた区立N小学校に通っていたが
日進や四谷大塚で奈落の底に突き落とされ、
得意と信じていた水泳も意地だけで区の代表に選ばれたりしていたのに
スイミングスクールに通う、か細い友人にあっさり敗られた。
話を剣道に戻そう。
自称無敵のオレだったが、小学校時代に早くも危機が訪れた。
同じ区の小学校から、2人の好敵手が出現したのだ。御園王くんと、宇賀神くんだ。
2人とも偉そうな名字で、華奢なくせに剣道が巧いので正直目障りな存在だった。
しかし、仲良くなるにつけ、性格も頭もいい彼らには圧倒されたが好きになった。
そして、地区ナンバー1と自惚れていた剣道もナンバー3となってしまった。
出逢いとは不思議なもので、その2人とは同じ中学に通うこととなった。
質実剛健が売りの下町の学校で、
フェンシングや剣道のレベルが高いことが有名だった。
その一方、西のNや、九州のRと並ぶほどの老舗学校でもあった。
我々3人は当然のごとく剣道部に入部した。
地区のナンバー1、2、3だという自信と共に...
中高一貫学校のため、高校生の指導を受ける形となった。
我々3人は中2や中3の先輩と互角以上に渡り合っていた。
ふと眼を横にやると高校生達のレベルの高い稽古が行われていた。

流石だなぁと舌を巻いていたのだが
高校生達の中でひときわ光った動きをしていた先輩が
面をはずしてこちらを見ている。
どこかで見た顔だ...
次の瞬間、全身がフリーズした。
その先輩は、先輩ではなく同級生の植原くんだった。
あまりに次元の高い技術なので高校生に混じって練習していたのだ。
こうして地区ナンバー3から、同じ中学の学年ナンバー4への格下げが確定した。
植原くんは、現在剣道七段で大学准教授、武蔵の本も執筆している。
宇賀神くんは、武蔵の二刀流を指導し、また余程勉強が好きだったと見えて
塾の代表となり、東大合格者を沢山輩出しているらしい。
御園生くんは、音信不通。
オレは...努力をしていないのに才能がないと決めつけて剣の道を去ってしまった。
自分の人生の中の大きな汚点のひとつだ。
同じ事を繰り返さないために、空手の道とムエタイは生涯現役を貫くつもりでいる。
そして、心の師は宮本武蔵...みんなと同じようだ。

↑ click, please!